花琳党

作ってみようタブロイド
タブロイド版レイアウトの技法について
タブロイドは、新聞のブランケット版ではなく、雑誌の小型メディアでもない。
タブロイド版という独自のデザイン規格であり、それ自体独立した世界である。
タブロイドは、気ままな世界である。
新聞レイアウト(の制約)からも、雑誌レイアウト(の制約)からも、自由である。
その上、新聞と雑誌のどちらのセオリーをも許容する。
新聞的レイアウトとはなにか、雑誌的レイアウトとはなにか。
新聞レイアウトのセオリーとはなにか、雑誌レイアウトのセオリーとはなにか。
この二つのレイアウト・セオリーがどんなものであるかを知っておきたい。
ここでは、朝日、読売、毎日、日経、産経に代表される日刊一般新聞のブランケット版を想定し、スポーツ新聞のレイアウトを除外しておく。スポーツ新聞のレイアウトは、一般新聞のレイアウト理論とは別個の、独自な世界を切り開いているからである。
一般新聞 一般新聞レイアウトの骨格をなすセオリーには
 @「動」のセオリー=ニュースらしい紙面作り
 A「チドリ」のセオリー=非対称形が生み出すダイナミズム
 B読み易く正確な紙面作りのセオリー=子どもから大人まで広範な読者を想定している
……の三つのポイントがある。
雑誌レイアウト 雑誌レイアウトは、フリーである。
メディアによってさまざまなレイアウトが行われているし、あらゆる紙面が、あらゆるレイアウト・セオリーを駆使しているし、メディアによって、独自で別個な世界を展開している。各メディアは、「差別化」を最大のテーマとし、「これが雑誌のレイアウトだ」といえる「制約」を受けていない。

一般新聞が、営々として築き上げてきた「割り付け理論」の歴史・伝統に制約されることによって、「新聞のイメージ」を固守してきた理由を、雑誌レイアウト・セオリーは持たない。
タブロイド・デモクラシー 新聞制作は「整理マン」「整理部」、雑誌制作は「デザイナー」「アートディレクター」というビジュアル担当者があることが、新聞と雑誌のレイアウトを隔ててきた。新聞作りと雑誌作りは、サッカーと野球ほどの異なる世界だった。

タブロイドは、新聞と雑誌の中間にあり、新聞と雑誌とは別個のレイアウト理論を持つに至った。2004年現在、「タブロイド・ルネッサンス」を称揚する者もいるほどに、だれもが作れる紙メディアになっている。DTPの進化、浸透を背景に、「タブロイド・デモクラシー」の時代が訪れている。
作ってみる前に
A3の白紙を縦に置いてみる。タブロイドとA3は、厳密には同じではないが、ブランケット版がA2に相当し、タブロイド版はA3に相当する、とひとまずは考えておこう。A3を縦に置けば、タブロイドでよし、としよう。

まっさらなA3の白紙をどのように分割するか。無限にある分割方法の中から、ある方法を選ぶのは、やさしいようでむずかしく、むずかしいようでやさしい。

カラーなのか、モノクロなのか、1ページだけ作るのか、2ページなのか、4ぺーじなのか、8ページなのか、12ページなのか、16ページなのか、ベタ文字(基本となる文字)のサイズをどれくらいにするか、字詰めは何文字にするか、横組みか縦組みか、行間はどれくらいの幅にするか、右綴じか左綴じか……などの基本設計をまず行わなければならない。
いや、その前に、もっともっと大きなことがある。
いったい、何を作るの? 

ポスターなの、チラシなの、情報誌なの、新聞なの、雑誌なの……?

タブロイドは、なんでもOKなんだ。どれもできるよ。
文字が多いの? 少ないの?
写真が多いの? 少ないの?
これが、一番、大事。

文字の比率、本文比率は、「ビジュアル率」と直接に関係する。だから、本文比率ということを、まず、考えてみよう。
「本文」というと、そもそも、文字主体のメディアをイメージするだろう。ポスターやチラシに、「本文」という概念は、まずない。新聞か雑誌が、すぐさま思い浮かべられることだろう。

「文字組」のイメージがあり、「段組」された文字のある紙面・誌面イメージが浮かび、それらには「本文」がある。
どうも、レイアウトがイメージ通りにいかない、という時、そもそも本文比率に無理がある場合がほとんどである。企画・編集が、よくない場合がほとんどと言っても過言ではないから、文章を削ったり、紙・誌面スペースを増やしたり、写真を増やしたり、イラストを描いたり……して、とにかく、本文比率を下げる作業を行うとよい。
この作業を、編集という。

編集は、レイアウトやデザインといった紙・誌面制作よりも上流にある工程だから、レイアウターやデザイナーはその権限を持たないし、立ち入れない、といって引っ込むことはない。レイアウトやデザインが、紙・誌面のビジュアルを担当する工程であるからといって、編集権者との協働作業を放棄してはいけない。

編集に投げ返す、という作業は、レイアウターやデザイナーのれっきとした仕事とみなそう。紙・誌面づくりは、編集権者の指示の範囲にありながら、両者の協業であることを理解すべきである。対等ではあり得ないが、紙・誌面づくりという「現場」では、提案や相談や議論を排除すると、ろくなことにならない。

「甘い」「辛い」は、はっきりと、編集者に伝えよう。その場合の、キーワードが「本文比率」である。
「本文」は、段組された本文記事だけを指す。

見出し、写真説明、前文(リード)、写真、イラスト、表・グラフ、広告、題字など、まさに、段組された本文をのぞいたすべての素材が、「本文以外」である。

本文÷本文以外=本文比率。


本文比率が高い紙・誌面を「辛い」、逆に、本文比率が低い紙・誌面を「甘い」などと、新聞整理の世界では言う。

「辛い」場合は、記事を削除、「甘い」場合は記事を加える――のが原則だ。

しかし、ここが、ポイント!

「ビジュアルな」紙・誌面にしたいなら、「甘い」ままのほうがベターなのだ。

@甘ければ、写真を使える
A甘ければ、見出しを大きく扱える
B甘ければ、余白ができる

つまり、「甘い」は、ビジュアル化の一歩である。
本文と「本文以外」の比率を、仮に、本文比率と呼んでおく。
チラシやポスターやグラフィックな紙・誌面は、本文という考え方がないから、本文比率はゼロである。
この辺で、タブロイドの実際を見てみよう。毎日毎日、朝刊とともに「折り込まれて」くる「チラシ」は、ほとんどがタブロイドのコンセプトによって、作られていることがわかる。ブランケット版の一般新聞でさえ、印刷の版形はブランケットであるにもかかわらず、実際には、その半分に折られて、タブロイドの大きさで配達されている。